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福岡地方裁判所 昭和45年(行ウ)51号 判決

原告 浜口勝彦

被告 北九州市病院局長

訴訟代理人 泉博 大串俊二 ほか八名

主文

被告が原告に対し昭和四五年九月一四日付をもつてなした懲戒免職処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

主文と同旨の判決。

二  被告

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決。

第二当事者の主張

(事実上の主張)

一  請求原因

(一) 原告は北九州市病院局に勤務していたものであり、被告は、同病院局の企業管理者であつて原告の任命権者である。

(二) 被告は昭和四五年九月一四日付をもつて原告に対して懲戒免職処分をなした。

(三) しかし、右処分は法律上正当な理由がなく、瑕疵ある違法な処分であるから本訴においてその取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因(一)、(二)の事実は認める。

三  抗弁

被告が原告に対し懲戒免職処分にした理由は次のとおりである。

(一) 原告は、昭和四五年六月二四日から同年七月六日まで被告の承認のないまま欠勤し、同年七月七日から同月一三日まで被告に無届で欠勤して、職務専念の義務を怠つた。

(二) 原告は昭和四五年六月一四日東京都内で行われた安保条約反対のデモに参加し、凶器準備集合、公務執行妨害、傷害の現行犯人として逮捕され同年七月六日東京地方裁判所に起訴された。

(三) 以上の事実は、全体の奉仕者たる公務員としての職務を怠り、全体の奉仕者としての公務員にふさわしくない非行をなし、その職の信用を著しく傷つけたものである。

従つて地方公務員法第二九条一項一号二号および三号に該当する。

四  抗弁に対する認否

抗弁(一)のうち、原告が昭和四五年六月二四日から同年七月六日まで欠勤したことおよび抗弁(二)の事実を認め、その余の事実をすべて否認する。

(法律上の主張)

一  原告

(一) 原告は昭和四五年六月一四日東京都でデモに参加して逮捕され本件懲戒処分時まで勾留されていた。その間原告は黙秘権を行使していたから欠勤理由を被告に対し明らかにすることは直ちに身分を明らかにし被疑事実の一部についても自白せざるを得ない結果となる。このように勾留の継続による出勤不能については黙秘権を行使している以上、事故欠勤や無届欠勤について原告に責任を負わすことはできないからそれ自体懲戒事由となる余地はない。

(二) 地方公務員法第二八条二項二号には起訴休職の制度がある。これは公務員が起訴された場合我国刑事裁判における有罪率の高さからみて、継続して職務に従事するときは公訴事実の内容、その罪名と罰条、当該公務員の地位、職務内容等のいかんによつては、公務に対する国民の信用を失墜させたり、職場秩序の維持に支障を生ぜしめるおそれがあるから一方で起訴された公務員にその身分を保有させながら一時的に職務に従事させないこととし、これにより公務に対する国民の信用を保持し、職場秩序の維持を確保しようとする制度である。

ところで原告に対する起訴事実は反安保闘争の一環として行われたデモにかかるもので政治的色彩が濃く、事実の存否並びに憲法論や正当行為の主張等法律上からも複雑な事件である。

従つて有罪率の高い我国刑事裁判の実情にてらしてもあるいは無罪となり、あるいは軽微な量刑がなされることも予想されるので、原告の具体的行為の存否、集団における役割並びに原告の政治的主張等を明らかにすることなく、被告の簡単な調査でもつて原告を懲戒免職処分に付することは前記休職制度に照らして考えても許されない。

また、北九州市関係では、過去汚職事件を除き、起訴により直ちに懲戒免職処分が為された例はなく、本件処分は職場慣行にも違反している。

公務員が刑事々件に関し起訴された場合には一般的には休職とすべきである。(勿論、どんな軽微な事件でも休職にすべきだというのではない)直ちに懲戒処分をすることを是認する例外を認めるとすれば、それは汚職のごとく直接職務に関する犯罪や破廉恥罪など一時的に休職としてもなお公務に対する信用が維持できないような重大事件でかつ容易に事実の確認ができる場合に限定されるべきである。なお本件起訴事実は職場外で休日に職務と無関係に行われた政治活動から派生した事件であり刑事々件の帰すうがどうなるにせよ地方から上京した原告が偶々参加したデモで重大な役割を果たしたとは考えられない。また市立病院は、独立採算性をとり、事業内容も一般の私立病院と全くかわりはない。従つて、公務に対する住民の信用を云々するとしても、公共性、公益性は極めて微弱である。そうして公務員とはいえその病院の一事務員にすぎない原告に対する本件起訴によつて公務に対する住民の信用が失墜したとか、職場秩序維持に支障をきたしたという事実のないことも考慮するならば仮りに何らかの懲戒処分が相当としても、懲戒免職処分を行つたのは、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量の範囲を超えて懲戒権を濫用したものである。

二  被告

(一) 原告は、欠勤の届出をしなかつたのは裁判所により勾留され、その間黙秘権を行使していたから無届欠勤につき原告に責任がない旨主張する。

しかし、黙秘権の行使とは自己の犯罪の嫌疑につき不利益な事実を告げる義務がないという意味においてその権利性を理解すべきであつて、その他の関係において債務不履行などを正当化する積極的な意味を有するものではない。

そして被告人の氏名、住所のごときは原則として不利益な事項ということはできずそれについて黙秘する権利があるとはいえない。

次に逮捕、勾留の結果の欠勤が正当事由にあたるというためにはその逮捕、勾留が違法、不当であることを労働者側において主張、立証すべきであると考えるが、この点につき何らの立証もない。

(二) 地方公務員は全体の奉仕者として公共の利益のため、公務の内外をとわず種々の服務義務を課されており(地方公務員法第三〇条、第三二条、第三三条、第三五条、第三六条、第三八条等参照)、また地公法第二九条一項三号は、懲戒事由として「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」を掲げている。これは、私企業職員の労働関係と根本的に異る点であつて、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対し、公務の民主的且つ能率的運営を保障する目的があり、地方公務員の勤務関係は、住民の信託に基礎を置いているからである。

ところで地方公務員が刑事々件に関し起訴された場合には、一般的、抽象的には有罪、無罪いずれの裁判を受けるか未だ定かでなく、いわゆる無罪の推定を受けているとはいうものの、起訴された被告人の大多数が有罪判決を受けている我国の刑事裁判の現状からすると、現実には起訴された職員は起訴状記載の公訴事実罪名および罰条によつて特定され具体化された事実についで相当程度客観性のある公の嫌疑を受けているものといわざるを得ない。

従つて職員が右のような嫌疑を受けたままで職務をとるときは職場における規律ないし秩序の維持に影響することが大であるのみならず、その職務遂行に対する地方住民の信頼をゆるがせ、ひいては公職の信用を失墜するに至ることはいうまでもない。

さらに刑事々件で起訴された場合、有罪無罪が確定するまで懲戒処分ができないものではなく民事行政上の処分はこれとは全く別個のものである。

まして本件の如く反社会性の著しい非違行為をあえてなし凶器準備集合、公務執行妨害、傷害の現行犯人として逮捕され、写真その他当時の参考人らの資料により犯行の事実が認められる場合には判決の確定前はおろか、起訴前であつても懲戒権を行使し得ることは疑問の余地がない。

(三) 原告は、北九州市門司病院事務局医事係であるが、昭和四五年六月五日から一八日までの間、地方公務員法第三九条により、北九州市職員研修所第二部研修の受講を命ぜられた。右研修は職員の勤務能率の発揮及び増進のため行われ、病院局職員就業規程第三二条も「職員は、知識をたかめ、技能を練磨するために管理者の実施する研修を受けなければならない。」と定めている。

しかるに原告は、同月八日午後「私用」で欠席、同月一〇日午後二時半以降は団体交渉のため欠席、同月一一日以降は同月二二日まで「組合出張のため」欠席する旨の代理人による欠席届をして欠席した。

そこで職員研修所は、原告の受講時間が、所定研修時間の八割を下り、研修終了の認定ができないのでこれを門司病院に連絡した。門司病院としては、右連絡によりはじめて原告の研修欠席を知り、同月一一日、事情を調査したところ、同病院事務局医務係田上良晴から原告が県連代表として中央大会出席のため六月一〇日上京したこと、同月一一日から一三日までは年次有給休暇を付与して貰いたいことの申出があり、原告名義の年次休暇申請書が代理提出された。

門司病院としては、以上の原告の行動は服務規律上容認し難かつたが、現実にはすでに原告が上京しているのでやむなく休暇を承認した。しかし、研修終了が認定されないところから門司病院は原告に対する研修命令を取消し、一五日以降は病院に出勤させることとして田上にその連絡を依頼した。

原告は、これまでも理由をつけて研修に応じなかつたが、この度も再び中途で研修不能となつた。なお原告は、後に判明したところでは上京前「一〇日位年休を貰つて東京に行く」とか「ひよつとしたら月末にでもやめるかも知れない」とか言つていた事実があり、ある程度長期の欠席ないし欠勤を予定しながら欠動届ないし休暇申請等所定手続をなすことなく上京したことは明らかで、原告の服務規定無視の態度は、明らかである(単なる逮捕勾留によつて届出ができなかつたというのではなく、結果的には代理届出が為されたが、原告としてははじめから届出の意思はなかつたのである)。

(四) 六月一六日から二三日までの間も原告は出勤せず、いずれも原告が出勤しないことがわかつてから同僚の代印による「家事の都合」とか「私用」とかという名目の年次休暇申請がなされ、病院側はいずれも原告が出勤しないため、やむなくこれを承認して来た。その間、管理職によつて欠勤の事由を調査したが、原告の所在、欠勤理由、予想欠勤期間等は皆目判らなかつた。

(五) 六月二三日までで原告の年次有給休暇は消化されてしまつたが、原告は二四日も欠勤した。同日前記田上は、その代印によつて七月六日までの原告の欠勤届(理由「私用」)を提出した。しかし以上の事情から病院はこれを承諾せず、事故欠勤とした。事故欠勤とは、私事の都合で勤務しない場合で、無届のとき、又は届出についてやむを得ないと認められなかつたときにあたるもので、病院がそのように処理したのは、前記の事情並びに田上により提出された欠勤届の事由が具体性を欠いていること、原告の属する医事係の業務が当時月間の最繁忙期にあたり、原告の欠勤により業務に支障を来たすので、その欠勤をやむを得ないものと認めることができなかつたからである。七月七日になつても原告は出勤せず、右田上も原告と連絡がとれないことを理由に代理による欠勤届はもう提出できないと述べるに至つた。また病院側は同市病院局労組についても事情を調査したが、組合も判らないとのことであつた(児玉書記長)。原告の家族についても更に調査したが同様であつた。

(六) ところが、同月一四日にいたり、右組合児玉書記長から原告の兄浜口定男名義の「欠勤届」が提出された。これには「弟浜口勝彦は6月の反安保活動中、東京のさる場所で不当にも権力に逮捕され、現在身柄拘束中のため、ここに兄の私が代理で欠勤届を提出いたします。」とあり、はじめて病院側は原告の欠勤事由を知つた。

(七) 被告が原告を懲戒免職処分とした理由は前記抗弁事実欄に記載の通りである。

更にその処分が正当であつた理由を詳述するに、まず、本件処分は、公務員として許容せらるべき正当な政治活動、憲法に保障された原告の自由なるべき思想、信条及びその表現を理由とするのではない。

(八) 即ち原告は、昭和四五年六月一四日、東京都内で行われた安保条約反対デモに参加したが、その際日本マルクス、レーニン主義者同盟(M・L同盟)の指導する集団の隊列に入り、これと行動を共にした。M・L同盟は、「人民総武装六月決戦に決起せよ」と題する六月決戦宣言を行い、「佐藤内閣打倒を機動隊殲滅により実現する」「敵を倒すのに何らルールもない。ありとあらゆる武器を調達し、行使しなければならない。」と指示し、さらには「六月一四日は代々木公園を武装出撃拠点と化して、首相官邸へ突進せよ!!」等と呼びかけていた。

六月一四日、M・L集団の行動は「6・14(代々木公園)から戦闘に突入せよ」というアジテーシヨンによつて端的に表現されており、同日、同集団の街頭行動は、右六月決戦宣言を実現するための行動であつた。

(九) そうして、同集団は、同日午後一時一〇分頃から二〇分頃にかけて渋谷区神宮前一丁目、国鉄原宿駅ホーム上から同駅本屋口前広場、その付近路上に至る間、警備中の警察官に、共同で危害を加える目的で、多数の火炎びん、鉄パイプ、石塊などを携え、移動した。

そうして、同日午後一時一九分頃から同二五分頃にかけて、同駅本屋口前広場およびその付近路上において、違法行為者への制止およびその検挙の任務に従事中の警察部隊に、多数の火炎びんや石塊を投げ、鉄パイプで殴りかかるなどの攻撃を加えた。

また、同日午後二時一〇分頃から同四時四〇分頃までの間、渋谷区神南町二丁目三番一号所在代々木公園B地区付近および同所から通称表参道通りを経て同区神宮前六丁目三〇番所在警視庁原宿警察署表参道派出所前交さ点付近に至る間の路上において、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的で、多数の石塊、空びん、丸太棒、鉄パイプ等を所持して集合移動した。

そうして、同日午後四時三〇分頃から午後四時四〇分すぎ頃までの間、前記原宿署表参道派出所前交さ点付近路上において、右学生らの違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警察官らに対し、多数の石塊、空びんを投げ、鉄パイプで殴りかかるなどの暴行を加えた。

また、同日午後四時五五分頃から同五時すぎ頃までの間、同区神宮前四丁目三番所在伊藤病院付近路上から通称表参道通りを経て港区北青山三丁目五番警視庁赤坂警察署神宮前派出所付近に至る道路において、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的をもつて多数の火炎びん、鉄パイプ、石塊等を所持して集合移動した。

そうして、同日午後五時すぎ頃、前記赤坂署神宮前派出所付近路上において、違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警察官らに対し多数の火炎びん、石塊を投げ、鉄パイプで突き、殴るなどの暴行を加えた。

(一〇) 原告は、右M・L集団の隊列に参加して、その集団の暴力行使に加担し、公務執行妨害、凶器準備集合の現行犯人として逮捕された。原告がこのような集団暴力に参加したのは、地方公務員としてあるまじき行為であつて、その地位、身分にふさわしからざること甚だしき非行というほかはない。

(一一) 病院当局は、原告が逮捕、勾留中であることを知り、人事課長坂口智徳、人事係長柳井らをして事実調査にあたらせ、小倉署における写真閲覧、東京拘置所での原告に対する面接、東京地検における公訴事実要旨の聴取り(当時原告は千住四五号として起訴されていた。なお原告は面接時も沈黙し、質問にも答えず、調査に協力しなかつた。)、現場写真閲覧、千住警察署での逮捕当時の状況聴取等を行つた。また、同年八月二二日、東京地裁が、原告と同じ公訴事実で起訴された伊藤順一(学生)につき有罪判決をしてこれが確定した事実を知つたので、その判決書写しを取寄せた。

(一二) 以上の調査の結果、原告は、有罪の判決がなされるであろうことの確信を抱いたので、原告の市職員としての身分を早急に終了させ、市に対する住民の信頼を回復し、職場秩序に対する悪影響を断つため、直ちに懲戒免職処分を行う必要があると判断した。

(一三) 地方公務員が刑事々件で起訴された場合地方公務員法第二八条二項二号で起訴休職の規定がある。しかし、職員が非行をなして、それが犯罪であるとして起訴された場合、これを休職処分にするか、懲戒処分を行うかは任免権者の自由裁量に属する。

(一四) また原告は、逮捕に引続き勾留されたのであるが、裁判所は、被疑者又は被告人が刑事訴訟法六〇条に定める勾留理由がある場合、はじめて勾留できるので、原告は客観的にその理由があると認められて勾留されたものである。よつてそのため原告が勤務できなかつたとしても、それは原告自身の責に帰すべきものである。またそのため、勾留された場合はその被勾留者について罪を犯したことを疑うに足る相当な理由が客観的に認められる場合であつて、その逮捕、勾留が不当であるというのであれば、前記の如く原告においてこれを立証しなければならない。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因事実(一)(2)は当事者間に争いがない。

二  〈証拠省略〉を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和四五年六月当時、北九州市門司病院事務局医事係に勤務する職員でありかつ北九州市病院労働組合の執行委員でもあつた。

北九州市は昭和四五年六月五日から同月一八日までの間、北九州市人事局職員研修所において第一六回吏員研修第二部を企画し、被告は原告に対し研修生としてその受講を命じた。原告は当初職場及び組合業務の多忙な時期であることを理由にこれを断つたが結局右命令を承諾し同研修に参加することとなつた。

ところが研修期間中の六月八日ころ原告は、北九州市職員労働組合連合会から、同年六月一一日から二二日まで東京都において開催予定の自治労中央委員会に県連の代表委員として参加するべく要請された。

右要請に対し原告はその承諾を保留していたが、同月一〇日に至り急拠同委員会に参加することを決め、右研修所長宛翌一一日から一三日までの間の受講欠席届を友人の松本幹雄に出してくれるよう電話で頼んで、病院側には何ら連絡することなく同日夜、北九州市を出発し、東京都の電通会館で開催された右委員会に出席した。

(二)  門司病院事務局次長の小田昌穂は、六月一一日研修所の第二課有馬係長からの連絡によつて原告が組合出張の理由で前記三日間の受講欠席届が提出されていることを知り原告の同僚である田上良晴に右欠席の事情を聴取したうえ同人の代印による原告名義の年次休暇申請書の提出を受けた。門司病院としては、原告が病院側に何ら連絡もしていないこと、この欠席により原告が残日数の研修に全て出席したとしても受講日数は八割を下まわり研修・終了が認定できないこと、その結果受講中原告の担当事務を他の同僚が負担したことが無駄になること、かかる原告の態度は服務規律軽視の考えが窺われることなどの理由で休暇承認には問題があるとしたが、すでに原告は上京した後であるところからやむなく右申請を承認した。しかし、前記の如く原告については研修修了の認定される見込のないところから門司病院では同月一一日ころ原告に対する研修命令を取消し、同月一五日(月曜)以後同人を門司病院に出勤させることとしその旨研修所に連絡すると同時に原告への伝達方を田上良晴に依頼した。

(三)  前記大会は、一三日(土曜)に終つたが、原告は前記電通会館において、六月一四日午後一時から代々木公園で「ベトナム反戦」「安保条約反対」を目的とした政治集会が行われることを知り、日頃からこれらの政治的問題に関心を寄せていたこともあつて単独でこれに参加しようと決意した。そして同日午後一時ごろ右集会に一人で参加し、その後東京都内のデモ行進にも加わつていたところ同日午後五時ごろ、都内港区北青山三丁目五番神宮前派出所先路上で警備中の機動隊員に公務執行妨害及び凶器準備集合罪現行犯として逮捕され、その後都内の千住署に勾留された(右逮捕の事実は当事者間に争いがない)。

右勾留中の六月一七日ころ救対の弁護士が原告に面会した際には同弁護士に自己の氏名及び住所を告げ、前記自治労本部に身柄拘東の事情につき連絡を依頼したが被告並びに研修所に対しては何らの連絡をも要請しなかつた。

もつとも原告は捜査機関に対しては犯罪被疑事実は勿論、氏名、住所に至るまで一切を黙秘していたので、原告自ら被告に対し欠勤届の手続をとることはできず、捜査機関を通じて被告に連絡することも事実上できない状況であつた。

他方、被告は六月一五日以降も原告が欠勤を続けるので、家族及び同僚に対し原告の所在、動静、帰任時期等につき事情聴取したものの単に上京していることが窺われるのみで全く消息不明であつた。その間被告側は、原告の同僚、田上良晴、片山澄夫らの代印による「家事の都合」「私用」或いは「組合用務の延長」等を理由とする原告名義の年次休暇申請書の提出を受けやむなく六月一五日から二三日までの右申請を承諾した。

(四)  (同月二四日以降七月六日まで原告が病院を欠勤した事実は当事者間に争いがない。)

原告の年次休暇は六月二三日をもつて殆んど消化され後半日を残す状況であつたところ田上良晴は同月二四日も原告が欠勤したのを知り、更に七月六日までの同人名義の「私用」を理由とする欠勤届を代印して提出したが小田次長は右申請を次の理由によつて承譜せず事故欠勤として取扱つた。

すなわち、原告の所在及び帰任時期につき本人から連絡もなく田上良晴からも明確な回答が得られない。そして欠勤理由が単に「私用」というのみで具体的な理由が明確でなく加えて原告の所属する医事係の業務は毎月末から月初めにかけて多忙な時期であるため原告の欠勤が業務に支障をきたすと考えたからであつた。

その後、門司病院事務局では二度にわたり原告の家族に対しその動静の調査方を依頼していたところ七月一四日午後四時五五分ごろ、北九州市病院労働組合の児玉書記長を通じ原告の実兄浜口定男から同人名義の「弟浜口勝彦は六月の反安保活動中、東京のさる場所で不当にも権力に逮捕され、現在身柄拘束中のため、ここに兄の私が代理で欠勤届を提出します」と記載された欠勤届が提出された。

その間、被告は、原告が何らの届出をしないで七月七日から一三日までの間更に欠勤したことに対し無届の事故欠勤の取扱いをした。なお原告はその後同年七月六日、東京地検から別紙記載の公訴事実により起訴され、本件懲戒処分時に至るまで長期間勾留されていたためその間出勤することができなかつた(右起訴の事実は、当事者間に争いがない)。

以上の事実を認めることができ右認定を覆すに足る証拠はない。

三  懲戒処分事由について。

弁論の全趣旨によれば、被告が本件懲戒免職処分の事由としたものは、前記抗弁事実に記載の通りである。

(一)  事故欠勤について。

以上認定の事実によれば、原告の欠勤が事故欠勤として取扱われた期間(六月二四日から七月一三日まで)、原告が勤務できなかつたのは逮捕、勾留起訴されていた結果である。また原告自ら被告に対し欠勤届の手続をとらなかつたのは身柄拘束に加えて、氏名、住所等についてまでも捜査機関に黙秘していたからにほかならない。

なお原告は弁護士を通じて被告に欠勤理由を通知する機会はあつたがその方法はとらなかつた。これは被告に通告すると被告側の照会などによつて捜査機関に自己の身元が明らかになるのをおそれたからと推認される。

しかし元来黙秘権は、自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障する趣旨で認められたものであるから、原則として自己の氏名、及び住所を秘匿する権利を含まないのは勿論、その権利を行使することによつて、刑事訴訟手続内で不利益を受けないという意味で保障されているのであつて、その行使が他の法領域で有利或いは不利に機能するかは別個の問題であると考えられる。

以上認定してきた諸般の事情に徴して、原告の欠勤について考えるに、原告の前記期間中における欠勤を、被告が、北九州市職員出勤簿処理規程第五条(18)「私事の都合により勤務しない場合でイ「無届のとき、または届出について、事情がやむを得ないと認められなかつたとき」(〈証拠省略〉)にそれぞれ該当するものとして事故欠勤の取扱いをしたことは相当であつて何ら非難さるべき筋合いはない。職務専念義務違反の主張については、後述する。

(二)  刑事々件に関し起訴されたことについて。

イ  原告が昭和四五年六月一四日東京都内で行われた安保条約反対のデモに参加し、凶器準備集合、公務執行妨害、傷害の現行犯人として逮捕され、同年七月六日東京地方裁判所に起訴されたことは前記の通りである。

そうして起訴された事件の有罪率が高いことが公知の事実であるという我国の刑事裁判の実情からいつて起訴によつて犯罪の嫌疑が相当程度客観化されるということは社会的な現実であろう。

しかし起訴された被告人といえども有罪判決があるまでは無罪の推定を受ける。そうして無罪推定の原則はたしかに第一義的には当該刑事訴訟手続の関係における規範的要請といえるが、他面、その他の関係でも尊重されるべきことは云うまでもない。

従つて当該起訴事実について被告人がこれを認めているような場合であればともかく、原告本人の供述によれば原告はその事実を争つていることは明らかであつてこのような場合右の起訴されたことをもつて直ちに信用失墜行為があつたともいえず、地方公務員法第二九条一項、一、二、三号の事由があるものとして懲戒処分の対象となし得ないことは明らかである。

ロ  次に被告の主張にてらすと、被告は、原告が公訴事実に相当する行為を為したことをもつて本件懲戒免職処分の事由としたものとも解されるのでこの点を判断する。

まず、これと本件懲戒処分の当否との関係を考えるに、その懲戒処分が適法有効であるとするためには、原告につき公訴事実に該当する違法有責な行為があつたことを必要とするのは勿論、右処分の時点で被告が客観的に原告の右違法有責な行為を確認するに足る根拠を有していたことが必要とみるのが相当である。これは地方公務員法第二七条一項が懲戒処分について求める公正の要求の一つであると解される。

〈証拠省略〉によると、原告の関与はしばらくおき昭和四五年六月一四日午後一時過ぎごろからいわゆるM・L派と称する過激派集団が別紙公訴事実の要旨として記載された犯罪事実を犯したものと一応認めることはできる。そうして、被告は、事実関係調査のため、東京地検に照会して、「公訴事実要旨回答書」と題する書面を受領し、これによつて公訴事実の要旨を知つたほか、同年七月二二日から二五日までの間、当時病院局人事課長であつた坂口智徳他二名を上京させて、原告に面会させると共に、関係捜査機関で事情を聴取させたことはこれを認めることができる。しかし、本件全立証にてらしても、この調査によつて、被告が客観的に原告の公訴事実に該当する違法有責な行為を確認するに足る根拠となる資料を取得できたことを首肯するに足る証拠はない。即ち、原告に対する起訴は同年七月六日であり、被告が調査した時期からみても、原告に対する証拠資料は公判未提出であつたと推認され、捜査官らが、第三者たる被告の職員に公判未提出の証拠内容を具体的に教示したとは通當考えることができない。なお原告は右坂口らに事件内容は何も述べていない。もつとも〈証拠省略〉には、検察庁で原告がヘルメツトをつけ鉄パイプ様のものを振上げて走つている写真をみたとか、千住署で原告が逮捕時ヘルメツト、鉄パイプ、タオル、毛沢東バツジを所持していたと警察官からきいたとか述べた部分があるが、これらの供述部分は、〈証拠省略〉と対比してもにわかに措信できない(但し、ヘルメツト、タオル、バツジの所持はこれを認めることができ、従つてまたこの点については〈証拠省略〉も措信できる。)。他に、当時、被告が、その調査によつて原告の具体的行為、原告とM・L集団との関係その他客観的に原告の公訴事実に該当する違法有責の行為を確認するに足る資料を得たことを認めるに足る証拠はない。被告は、伊藤順一の有罪判決をも参照したと主張し、このことは〈証拠省略〉にてらして認めることができる。しかし、これは同一事件に関与したとして起訴されたものとしても、他人に対する判決にすぎず、被告が以上の調査をもつて、当時原告の有罪を確信したとしても、軽卒のそしりは免れない。要するに被告は、検察官の起訴と、我国刑事裁判における有罪率の高さに頼つて不十分な調査のまま原告に対する本件懲戒免職処分を行つたものというべく、仮りに原告が実際に右の行為を為した事実があるとしても、それは被告の判断が結果的に事実と一致したにすぎない。なお原告は、前記の通り本件で勾留されている。従つて当時原告について罪を犯したことを疑うに足る相当な理由が裁判官ないし裁判所に疎明されたものと認めることはできるが、これをもつて右の判断を左右するに足りない。他に、以上の判断を左右するに足る証拠はない。

ハ してみると、仮りに原告につき本件公訴事実にいうが如き行為があつたにせよ(その事実があれば、これが被告主張の如き地方公務員法上の各懲戒条項に該当することは明らかであるが)、右行為の存在を理由として被告が為した本件懲戒免職処分はこれを客観的に確認するに足る根拠なくして為された違法があるというべきである。

四  懲戒処分の効力について。

(一)  してみると若し原告に本件公訴事実に該当の違法有責の行為があり、それに基いて逮捕、勾留され、その結果前記の如き欠勤を余儀なくされたとすれば、そうして前記の如く氏名、住所も黙秘した結果届出もしなかつたとしても、それは自らの意思をもつて違法行為を為した結果であるから、前記北九州市職員出勤簿処理規程等に基く欠勤届提出についての職務上の義務違背は勿論、その欠勤につき職務専念義務を怠つたという判断もなし得るであろう。しかし、そうだとしても、本件懲戒処分の中心的事由は、原告が本件公訴事実に該当する違法有責の行為をなして、それにより逮捕、勾留、起訴されたという点にあることは、以上認定の事実関係にてらして明らかである。そうしてそれが前記の如く、地方公務員法第二九条一項各号所定の懲戒事由に該当せず、また同法第二七条一項の定める公正の要請に反する違法があると解される以上、本件懲戒免職処分は、職務専念義務違反の点については合理的な裁量を誤つた違法があるといわざるを得ない。

(2) 従つて、本件については、原告につき起訴休職の事由があつたことは別として、被告の為した懲戒免職処分は、地方公務員法第二七条一項、第二九条の解釈適用を誤り、その余の点を判断するまでもなく違法で取消しを免れ得ない。

五  以上の次第であるから原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野重信 中根与志博 吉田哲朗)

別紙 原告に対する公訴事実の要旨

原告は、

第一多数の学生・労働者らとともに、眠和四五年六月一四日午後一時一〇分ころから同一時二〇分すぎころまでの間、東京都渋谷区神宮前一丁目一八番所在国鉄原宿駅ホーム上から同駅本屋口前広場およびその付近路上に至る間において、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的をもつて、多数の火炎びん、鉄パイプ、石塊等を所持して集合移動し、もつて他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもつて凶器を準備して集合し

第二前記多数の学生・労働者らと共謀のうえ、同日午後一時一九分ころから午後一時二五分ころまでの間、前記原宿駅本屋口前広場およびその付近路上において、右学生らの違法行為を制止・検挙する任務に従事中の警察官らに対し、多数の火炎びん、石塊を投げつけ、鉄パイプで殴打するなどの暴行を加え、もつて右警察官の職務の執行を妨害し、その際右暴行により、付近を通行中の一般人および警察官三〇名に対し、加療約三週間ないし約五日間を要する傷害を負わせ

第三多数の学生・労働者らとともに、同日午後二時一〇分ころから同四時四〇分ころまでの間、同都渋谷区神南町二丁目三番一号所在代々木公園B地区付近および同所から通称表参道通りを経て同都同区神宮前六丁目三〇番所在警視庁原宿警察署表参道派出所前交差点付近に至る間の路上において、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的をもつて、多数の石塊、空びん、丸太棒、鉄パイプ等を所持して集合移動し、もつて他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもつて凶器を準備して集合し

第四前記第三記載の学生、労働者らと共謀のうえ、同日午後四時三〇分ころから午後四時四〇分すぎころまでの間、前記警視庁原宿警察署表参道派出所前交差点付近路上において、右学生らの違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警察官らに対し多数の石塊、空びんを投げつけ、鉄パイプで殴打するなどの暴行を加え、もつて右警察官の職務の執行を妨害し

第五多数の学生・労働者らとともに、同日午後四時五五分ころから同五時すぎころまでの間、同都渋谷区神宮前四丁目三番所在伊藤病院付近路上から通称表参道通りを経て同都港区北青山三丁目五番所在警視庁赤坂警察署神宮前派出所付近に至る間の路上において、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的をもつて、多数の火炎びん、鉄パイプ、石塊等を所持して集合移動し、もつて他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもつて凶器を準備して集合し

第六前記第五記載の学生、労働者らと共謀のうえ、同日午後五時すぎころ、前記警視庁赤坂警察署神宮前派出所付近路上において、右学生らの違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警察官らに対し、多数の火炎びん、石塊を投げつけ、鉄パイプで突き、殴りかかるなどの暴行を加え、もつて右警察官の職務の執行を妨害し、その際、右暴行により、警察官三名に対し加療約一週間を要する傷害を負わせたもの。

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